「トイストーリー4」の名言や名セリフから、作品のメッセージ性や伝えたいことなどを独自の解釈で考察しています。
ディズニー作品は、大人から子供まで楽しめますが、子供と大人の観る視点は、人生経験の差から、感じるところも異なりますし、この作品の意図などを、私見を交えて解説します。
トイストーリー4の名言・名セリフの意味や意図は?
人気シリーズ4作目の「トイストーリー4」ですが、心に刺さる名セリフもいくつかありました。
「トイストーリー3」もそうでしたが、個人的には隠れたメッセージ色の強いシリーズ作品だと思っています。
では、管理人が勝手に選んだ、名セリフやメッセージについてピックアップしてみます。
待ってるだけでは何も変わらない
長年売れ残ってアンティークショップにいた、どう見ても古い型の人形ギャビーは、店主の孫娘ハーモニーに拾ってもらうことがいつしか夢になり、ウッディからボイスボックスを移植してもらったあと、自信に充ち溢れて、ハーモニーの前で自ら拾ってもらうように彼女に仕掛けました。
引用元:トイストーリー4
ところが、「いらない!」と無造作に放り投げられてしまい、ギャビーの夢は無残にも砕け散り、酷く落ち込んでしまった。
見かねたウッディは、「棚に飾られているだけで、待ってるだけでは何も変わらないだろ」と、ボニーに拾ってもらうことを提案し、アンティークショップを共に脱出することを決意します。
また、その前のウッディとボーがアンティークショップでフォーキーを助けるシーンでも、
ボー :棚に飾られてずっと待ってるだけの人生が嫌になって、出てったの。
ウッディ:すごいよ君は。1人になっても立派にやってる。
ボー :あなたにだってできるわ。迷子のおもちゃになっても大丈夫。
ウッディ:子供部屋に戻るつもりはないのかい?
ボー :ない。今ちょうど移動遊園地が来てる。町を出るチャンスよ。
ボー :そうよ。子供部屋を出て、広い世界を見たくない?
ウッディ:子供抜きで?無理だよ。俺は古いタイプのおもちゃだからな。
ボー :試してみたら?
引用元:トイストーリー4
このような、伏線もあって、説得力が増していました。
そして、
- 待ってるだけでは何も変わらない。
- 自分で何か動くことで未来が切り拓ける。
- 自分の意思で勇気を持って動くこと。
を作品を通じて学べると思います。
行動することにより夢が叶う
ウッディがギャビーを連れ出して仲間と移動遊園地で合流する際に、ギャビーは偶然迷子になった女の子を見つけて、その子に拾ってもらいたいと思ったシーン。
引用元:トイストーリー4
「やっぱりダメかも…」と弱音を吐くギャビーにウッディは、
「これがおもちゃの役目なんだ」と背中を押されて、拾ってもらうことを再び決意します。
そして、ウッディ達の手助けもあり、迷子の子に無事拾ってもらえることになりました。
おもちゃの役目は、人に拾ってもらうことではありませんが、必要な子に手に取ってもらい遊んでもらうこと。大事にしてもらうこと。
自身の意思で動いた結果、周囲のサポートもあり持主をゲットすることができました。
つまり…、
行動することにより夢が叶う、勇気を持って動くことが大切!
ということを、作品の意図のひとつとして、伝えたかったのではないでしょうか。
運命を受け入れる
ボニーが幼稚園で作った先割れスプーンのおもちゃフォーキーは、なぜか自分が「スプーン」として使われた後、ごみになる運命(役目)だと知っていた。
自分は用済みのゴミ。だから捨てられようとして、ゴミ箱に率先して入ろうとウッディに阻止されながらも、何度も何度も試みた。
引用元:トイストーリー4
客観的に見れば、ボニー以外の人から見たらゴミであっても、ボニーからすれば大切なおもちゃ。
おもちゃとして生きる運命を与えられたということ。
このことから、
- 例えたった一人のためであったとしても、その人のために、自分の役割・役目を理解し、全うすることの意味
- おもちゃとして生きる道を与えられた⇒人として生まれてきて、生きる道を授かった、そしてどう生きるのかと問われている。
この2つのことを、伝えたかったのではないでしょうか。
親の立場からみた子離れの寂しさ
夜中にウッディがフォーキーを連れてオートキャンプ場まで歩きながら向かうシーン、
子供たちはいずれ成長し大人になって、去っていく。
俺たちが視ることのない世界へと。
ずっと一緒だったのに、クローゼットの中に置き去りにされてると…。
引用元:トイストーリー4
役目は終わったと感じる…。
子は何れ親の元を離れる。
子供の頃いつも遊んでくれたアンディーの元を離れた寂しさ、おもちゃは子が成長するにつれて要らなくなるもの。
これは、子が成長するにつれて、親の元を離れて行く「子離れ」の寂しさを表現しているようにも思います。
親は子離れしたあとどう生きるか?
一方で、ボーがウッディと共に、フォーキーを救出するために移動遊園地のメリーゴーランドの頂上に登るシーンで、
ウッディ:新しい家に行ったものだと…。
ボー :よくあること。女の子が成長して私の役目が終わる…。
ボー :子供部屋にこだわる必要はない。だって、こんな広い世界があるのよ。
引用元:トイストーリー4
ボーは、考え方を変えて持ち主にこだわらなかった。つまり自由な生き方を選択した。
次の持ち主に拾われることを目的とするのではなく、同じ境遇のおもちゃ同士で生きていくことを決断し、仲間と楽しく生きている…。
- 凝り固まった発想でななく、考え方を柔軟にして自由な生き方もある。
- 引き籠っていてはいてはダメ。
- 親は子離れすれば寂しいと思うのではなく、成長したことを喜び、それまでできなかったことや、やりたかったことをすればよい。
という隠れたメッセージもあると思います。
「セカンドチャンス」⇒あきらめなければチャンスはある
直訳すれば、「2回目のチャンス(機会)」。
引用元:トイストーリー4
トイストーリーらしく、モノ側、おもちゃ側から見た絶妙のアンティークショップ店の名で、おもちゃが2度目の持ち主に出会えるか、つまり人生に置き換えるなら、例え1度、何度失敗したとしても、あきらめなければチャンスはある、ということを伝えたかったのかもしれません。
視野を広く持つこと
ウッディは、ボニーのおもちゃ。
アンディのおもちゃであったときと同様に、持ち主への忠誠心が強く、他人から見ればただのゴミでも、ボニーが大切にしているおもちゃなら、危険を顧みず、一度失敗しても命を懸けて再び取り返しに行くという持ち主に対しての忠誠心。
ボー :どうして(また助けに)行くの?なんで?
ウッディ:もう俺にはこれしかないんだよ!他にできることはない。
ボー :子供は他にもいるのよ。なのに、ボニーにだけこだわってるなんて間違ってるわ。
ウッディ:忠誠心だよ。迷子のおもちゃにはわからないだろうな。
引用元:トイストーリー4
一途で熱い主人公によくあるアドベンチャー映画のような、守るべきもののため、命を懸けて危険を承知で戦いに挑む姿は、映画やドラマでありがちな演出とはいえ、胸を打つものがありました。
ある意味、会社や上司・ボスに忠誠を誓う忠誠心を表現していたとも言えます。
この時点では、ウッディは持ち主のために自分ができることを考え、ボーは子供はひとりじゃないし、気に入ってもらえる子などいくらでもいると、生きてきた経緯から広い視野で物事を考えることができるようになったとも言えます。
どちらが正しいとか正しくないではなく、忠誠心というと聞こえはいいが、子供部屋で外の世界をあまり知らずに過ごしてきたことが、視野の狭さに繋がっているようにも思います。
内なる声を聞け
夜中にキャンピングカーで走行中、ボニーを見守るウッディとバズの会話シーン
ウッディ:これは俺の役目だ。俺の内なる声が諦めちゃダメだと言っている。
バズ :それ誰なんだ?その内なる声は?
ウッディ:俺だ。俺の心の声。自分の一部が教えてくれるんだ。自分の本心を。
バズ :興味深い。君の内なる声は助言をくれるのか?
引用元:トイストーリー4
移動遊園地で、ウッディが仲間たちではなくボーを選んだシーン。
バズ :ボニーは大丈夫だ。内なる声を聞け。
ウッディ:………。
引用元:トイストーリー4
率直に言えば、「自分の気持ちに素直になれ!正直になれ!」といったところでしょうか。
自分がどうしたいのか?何を望むのか?生き方など、自分の気持ちに正直になって行動しなさいという作品に込められたメッセージかもしれません。
ゴミとして生きるフォーキーの生き方は正しいのか?
フォーキーが走行中のキャンピングカーから飛び出すシーン
僕はおもちゃじゃない。先割れスプーンだ。
スープやサラダを食べるために生まれてきた。
で、そのあとはゴミになる。
僕はゴミなんだ。僕はゴミー!
引用元:トイストーリー4
と言って、走行中のキャンピングカーから飛び出しました。
確かにプラスティック製の先割れスプーンは、人間に使われたあとはゴミになる。
ステンレス製のスプーンなら繰り返し使われるがそうではない。
それがおもちゃとして、子供に作ってもらって生まれ変わって大切にしてもらっても、自分はゴミとして生きる。
ゴミとして生きることは、彼本来のあるべき姿かもしれませんが、おもちゃとして生を受けた命の恩人であるボニーに、恩返ししよう、大切にしてもらおうとは思わないのか?
「自分は本来ならゴミで捨てられるのに、偶然にもおもちゃにしてもらった。なんてラッキーなんだ!」
と思わないのか?
ゴミとして生きる⇒敷かれたレールの上を生きる。
おもちゃとして生きる⇒人との出会いにより、生き方を変える
生き方について考えさせられるシーンでもありました。
生き方は人それぞれ自由である
ウッディは、仲間と共に子供部屋に戻る生き方よりも、外へ出て広い世界を見てみたい願望が強くなって、ボーと行動することを決意したラストシーン。
引用元:トイストーリー4
定められた運命でその生き方を全うするより、危険は伴うかもしれないが、広い世界をみてみたい、自由を得たいという気持ちがボーと再会して強くなっていったが故の、ラストシーンでの結末でした。
外の世界・知らない世界に足を踏み入れることは素晴らしいことで、生き方は人それぞれ自由であることを、ひとつのメッセージとして感じました。
まとめ:トイストーリー4は名言や名セリフからメッセージ性も強い作品
「トイストーリー4」の名言や名セリフからメッセージ・伝えたかったことをまとめると、
- 待ってるだけでは何も変わらない。
- 行動することにより、夢が叶ったり何かが変わる。
- 運命を受け入れる。
- 親の立場からみた子離れの寂しさ。
- 親は子離れしたあと、どう生きるか?
- あきらめなければ、チャンスはある。
- 視野を広く持つこと。
- 内なる声を聞け。
- ゴミとして生きるフォーキーの生き方の是非
- 生き方は人それぞれ自由である。
といったところでしょうか。
引用元:トイストーリー4
ご承知の通り、主人公ウッディは長年苦楽を共にした仲間と決別し、女のもとに走るというディズニーアニメとしては衝撃的な結末で幕を閉じたため、インパクトが強烈になり、そこに全て持っていかれたような形に結果としてなりました。
ですが、結末以外の部分では、前作同様大人も子供も生きていく上でのヒントが、ふんだんに盛り込まれており、衝撃的な結末も含めて、全体を通して観るとメッセージ色の強い作品に仕上がっていると思います。
また、ウッディとバズで「さぁ行こう。無限の彼方へ」で締めくくったラストの演出は、これから別々の道を歩む、両者の永遠の友情も表現しつつ、前向きに生きて行こうというメッセージではないでしょうか。