「アイフィールプリティー 人生最高のハプニング」(2018年)作品。
ジャンル的には「ラブコメディー」になり、シチュエーション的には現実にありえないことばかりですが、クライマックスのスピーチのシーンでは、内容的にはコスメを扱っているので、直接的には女性向けとはいえ、自分に自信がない・自信をなくして取り戻したいと思っている全ての人に送る物語です。
そこで今回は、クライマックスシーンの主人公レネーのショートスピーチについて、解説します。
アイフィールプリティーのスピーチで学ぶこと(3部構成)
クライマックスのスピーチのシーンが、この映画の伝えたかったことが凝縮されており、たった3分程度のショートスピーチですが、レネーはスピーチの構成を考えており、「オンライン部門」といえば聞こえはいいが、窓もない部署に職場仲間がひとりだけいるような人とは思えない程、秀逸なスピーチをして、観衆の心をあっという間に掴みました。
職場である程度の地位にいる方で、日常的にスピーチをされる方はご存知の方も多いと思いますが、スピーチの構成の基本は、「考え⇒事実⇒考え」を述べる3部構成を取ります。
- 考え…テーマについて意見や解答を簡潔に述べることで、聞き手の安心感を得る。
- 事実(経験)…根拠・理由・具体例を述べることにより、聞き手に大方の意味が伝わる。
- 考え…最初の考えを事実に基づいてまとめる。
レネーのスピーチも、「1.考え」が変則的ではあるものの、基本的にはこの3部構成になっており、彼女はよく考えて、台本を練っていたことになります。
アイフィールプリティーのスピーチ内容の解説
内容を踏まえて、「3部構成」にあてはまっているのか、検証していきます。
1.考え「両方そのままの私」
どうもー。レネーです。
恐らく、お馴染みのレネーはこちらでしょう。
(受付係をしているときのレネーの写真をモニターに映し出し)
グラマラスで、完璧な美人です。
でも本当は違います。これが本当の私。
(オンライン部門で仕事しているときのレネーの写真をモニターに映し出し)
そうです。二人はまるで別人です。でも私。
まずそれを受け入れて、この業界で求められていた姿はどちらか?
こっちです。
魔法じゃない。私よ。両方そのままの私。
ずっと私だった…。
引用元:映画「アイフィールプリティー」
恐らく、フィットネスジムで頭を強打する前(魔法にかかる前)の、窓際族で仕事をしていたレネーの姿こそが、本当の自分であり、美人でもない普通、いやブサイクな自分は窓際族がお似合いだと思っていた。
そんな平凡で一般的な人に、セカンドライン(新商品)を購入していただきたい、という方向性でスピーチを始める前は、考えていたと思います。
ところが、「頭を強打する前→頭を強打して自信がみなぎる→頭をガラスにぶつけて元に戻る」この流れを経て、どちらも自分であり、気持ちの持ち方でポジティブな人間に変われることに、喋りながら気が付いた。
冒頭で、意見や答え・自分の考えを簡潔に述べることで、聞き手の安心感を得るのが「1番目の考え」ですが、表面的に外見をどうこう言うよりも、内面が大事なのだということに気が付いた上で、「2番目の事実(経験)」を、気を取り直して述べていくことになります。
スピーチを進行しながら、本来準備していたレネーの頭の中にある台本は、その後のつながりを意識して、多少変えていくことになっていきます。
2.事実(経験)「生まれた時から持っていた自尊心」
後半は、「3番目の考え」も含んでいますが、基本的には経験を踏まえて、事実を述べています。
幼かった頃は、ずっと自信にあふれていた。
例えお腹が出ていたとしても、踊ったり駆け回ったりして、パンツは丸出し。
でも、いつしか自分に疑問を持つようになる。
誰かに言われた意地悪な一言が、根を張っていき、自分のことを繰り返し疑って、遂には全ての自信を失う。
生まれたときから持っていた自尊心も失ってしまう。
で、あの頃の自分を取り戻せたら?強い自分になれたら?
どうです?見た目なんか気にせずに、声なんて気にしない!
少女の頃の自信を持ち続けたらどうでしょう。
誰かがあなたにブサイクだとか、デブだとか言ってきたとしても、
私達には、強さがある。
自分で自分を素晴らしいと言える。
だって私は、私です。私は自分に誇りを持っています!
引用元:映画「アイフィールプリティー」
幼い頃から大人になるまで、その経緯や次第に自信を失っていくことへの失望感や喪失感は誰にでもある。
でも、周りから何を言われたとしても、自信を持ち続けることができたら、と映し出されたモニターのレネーの2枚の写真から、外見に変化はなくとも変わることができたことに気付いた彼女は、自信を持つことの大切さを、ストレートに訴えることができました。
恐らく、後半の「私は自分に誇りを持っています!」は、レネーの当初の彼女の台本にはなく、喋りながら修正していったと思われます。
であれば、頭の回転も速く、喋りながら次の言うことも考えていることになり、優秀なスピーチメーカーということになります。
現実的にはあれだけの観衆の前で、自信満々にスピーチすることは、相当場数を踏んでいないと難しいでしょう。
美人経営者エイヴリーが舞台に出てきて、マイクを持って声を震わせて、西暦1200年創業だとか支離滅裂なことを言っていましたが、それくらい緊張するのが普通です。
引用元:映画「アイフィールプリティー」
3.考え「新商品で人生は変わらない。自分で変えるの」
仕事のパートナーであったメイソンに、舞台の大型モニターに、女性の顔を次々に投影していく画像を流すところから始まります。
(メイソン お願い)
これがリアルな女性。
私達は素晴らしい存在です。
私達は健やかで、強くて、カッコいい女性なんです。
セカンドライン(新商品)で人生は変わらない。
自分で変えるの。必ず変えられるわ。信じて。
信じる全ての女性のため、このセカンドラインはある。
あなたは美しい。そのままのあなたこそ、セカンドラインの顔なんです。
「リリー・ルクレア(会社名)」の顔は、全ての女性です!
(大歓声)
引用元:映画「アイフィールプリティー」
最後に、考え、強力なメッセージを述べて完結しています。
それは、この映画において最も伝えたかったことではないでしょうか。
社を挙げて大々的に新商品の発表会イベントを行うにもかかわらず、商品の説明をせずに、美人な女性が出てくるのでもなく、レネーのような女性が出てきて、新商品に依存するのではなく、自分で変えるんだと、力強いメッセージで締めくくる、現実的にはあり得ないとはいえ、主人公の今までのストーリーから、共感を得ます。
ラストのショートスピーチで心を動かされる作品で、ポジティブな気持ちになります。
「リリー・ルクレア」という化粧品メーカーは、高級ブランドではなく、庶民派のブランドであり、世襲した美人経営者は、どこか世間知らずであり、それをコンプレックスにもしていて、自分が何もわかっていないことも自覚していた。
引用元:映画「アイフィールプリティー」
またスピーチとはズレますが、よくありがちな、世襲した若い経営者が、会社経営で間違った方向に舵を切っても、助言したり意見する人がいないことも、描かれていました。
劇中では、新商品の販売促進戦略会議に、古参のベテラン社員が一人もおらず、同世代の若い社員だけで回りを固めていては、間違った方向に進んでしまうのは致し方ありません。
引用元:映画「アイフィールプリティー」
余談ですが、管理人が前に勤めていた会社でも、3代続く世襲の中小企業でしたのでこの映画と同様、世間知らずのお坊ちゃんが社長に就任すると、周りのブレーンが優秀であればいいのですが、そうでない場合は、助言する人もおらず、ワンマン経営になりがちになるかもしれません。
ここ数年親子で対立している、某家具メーカーの経営者もそうですが、「目利きに優れた世襲経営者」、下っ端の社員の意見を素直に聞ける経営者というのは、実はそうそういないと思います。
そんなリリー・ルクレア社のような会社ばかりではありませんが、理解のある若い経営者像に関しては、観ていて気分が良く、会社経営に携わっている方や、役職持ちで部下のいる管理職の方にも心に刺さる作品で、参考になると思います。
まとめ:アイフィールプリティーは自信を取り戻したい人におすすめ!
最後にまとめると、
- クライマックスシーンのショートスピーチは、「考え⇒事実(経験)⇒考え」の3部構成でできている。
- 主人公のレネーは、物語上短時間で台本をまとめ上げている優秀なスピーチメーカー。
- 自社の新商品の発表会で、新商品のコスメでうわべだけで変わることはできない!あなたが生き生きとした自分に自分で変わるんだという、結論で共感を得ている。
- この映画は、ラストのショートスピーチに全てが込められており、ポジティブ思考になれる。
- 同時に、世襲経営者や部下を持つ管理職等の方にも、優秀な人材を見抜く目や組織の底辺の意見を聞き入れるなど、学ぶところもある作品。
といったところでしょうか。
引用元:映画「アイフィールプリティー」
ラブコメディーとしてもハッピーエンドで終わり、細かいツッコミどころは多々あり、現実的ではないものの、笑えるポイントもいくつかあって、ポジティブな気持ちになれる爽快感のあるエンターテイメント性のある映画です。
R15指定ではないですが、ストレートな性描写もあるので、親子で観るのはおすすめしませんが、自信がない・自信を取り戻したいと考えている状況にある方は、年齢問わずおすすめの作品です。
P.S.
主人公のレネーは、タレントの渡辺直美が担当しハマっていて、字幕版は英語を直訳していることが多く、吹替版の方がセリフに違和感がないので、個人的には吹替版の方がいいと思います。